贅沢することより「贅沢しない工夫をすること」の方が楽しい

 

無職期間が9ヶ月目に突入しました。

貯金はだいたい派遣を辞めた当初と同じぐらいまで減って(失業保険の給付金を使い切って)、そろそろ身の振り方を考えなければな~!と、ぼんやり焦り始めた頃合いです。

時間の融通の利くパートで働くか、お給料重視でフルタイムの派遣社員になるか、それともそういうものとは全く違うお金の稼ぎ方をするか……(正社員になるという選択肢はない。笑)

「できるだけ働きたくない!」という確固たる意志はあるのですが、なかなかそうも言っていられないのも目を逸らすことのできない事実ではありますので、なるべく後悔の少なそうな働き方をしっかり模索していきたいところです。

 

そこでふと考えたのが、「高知の今のアパートに住んでいて、贅沢さえしなければ、生活に必要なお金ってそこまで多くはないよな~」ということ。

そして、「よくよく考えたら、贅沢って、そこまでがんばってやりたいことでもないのでは??」ということです。

 

 

贅沢にはコストがかかる

 

「贅沢」の定義は人それぞれだとは思いますが、「お金をかけていい服を買って、美味しいものを食べて、いい家に住むこと」のようなイメージが一般的かなと思います。
主に衣食住にお金をかけて、平均よりもワンランク上の生活をする、みたいなイメージです。

当然のことながら、贅沢をするにはお金が必要で、お金を稼ぐためには働かなければいけません。

親が土地持ちで自分が稼がなくてもなんとかなるという人や、専業主婦(夫)をしていて配偶者の稼ぎで豪遊できる人なら話は別ですが、大多数の人にとっては「贅沢=自分の懐を痛めてするもの」です。

 

無職になってお金を稼がない生活が長引くと、お金を使うこと(貯金が減っていくこと)に対する不安感や、「このお金があればあと数ヶ月は働かずにのんびり過ごせるのに……」という「損した感」の方が強まる傾向があるように思います。

少しでも働いていて収入がある状態であれば抵抗感は弱まるのですが、貯金を切り崩す生活をしていると、生活レベルを意図的に上げたり、思いきった大きな買い物をするということも難しくなってきます。

この感覚がいいものなのか悪いものなのかは別にして、お金を使うことに対する抵抗感は、お金を持っていない状況にあればあるほど強まるのではないかなと思います。

 

「贅沢が好き」「働くことが好き」、あるいは「仕事を通じて成長するのが好き」ということであれば、「働く→贅沢する→働く」のサイクルを繰り返したとしても、特に問題は生じません。

万が一働けなくなったら上がった生活レベルに苦しめられるというデメリットはありますが、「もしものこと」を想定するばかりでなにかを我慢したり、今現在を犠牲にするのは、それはそれで不健康かな~とも思います。

なので、贅沢が好きな人が間違っているというわけでは決してない、と思います。

しかし私のように、働くことより趣味に没頭したりのんびりぐうたらするのが好きというタイプの人間にとっては、「贅沢は敵」とはいかないまでも、「贅沢は不要品。いようがいまいがどっちでもいい存在」であると感じます。

 

 

「贅沢する」よりも、「贅沢しない工夫を凝らすこと」への興味が強い

 

以前は「贅沢=できたら楽しい、うれしいもの」ぐらいの感覚だったのですが、それが「なくてもかまわない」「なんならないほうがシンプルでいい」という意識に変わったのは、やはり生活のダウンサイジングをはじめたことが大きく影響しています。

 

これは、外食を控えて自炊中心の生活をすることを例に考えるとわかりやすいです。

「外で食べると1,000円かかるところを、自炊することで半分の500円ですませることができた」
→「同じようなものを半分の値段で食べることができて、健康にも良くて、なんなら出来合いを買うよりも自分で作った方が美味しい」

こういった「お得感」「一石二鳥、三鳥感」の方が快感になりやすく、贅沢をするよりもより幸福を感じられる場合もあります。

もちろんそれだけ「自分自身の労力」を払っているわけなのですが、ただ空腹を満たすためだけになんとなく外出をして、すっかり食べ飽きてしまっているファーストフードを作業的に食べるのも、それはそれで時間を取られるし、疲れるものです。
そのような食事であっても、自炊をするより何倍もお金はかかるわけなので、金銭的な観点からは「贅沢」に分類されます。

 

更に、贅沢をやめて1000円⇒500円にコストダウンしたものを、更なる工夫や考え方の変化で0円にできると、身軽感や全能感すら感じられるようになります。笑

私にとっては肌断食をはじめて保湿に一切お金をかけなくなったことや、1日1.5~2食生活にシフトしたことで朝食にかかっていた食費がまるまる浮いたことなどがこれに相当します。

 

 

「贅沢な家」を手放すだけで、生活費は大幅に下げられる

 

住むところを変えて固定費を下げる方法も効果が大きいです。

家賃がひと月10万かかるマンションから5万円のアパートに引っ越したとしても、健康が損なわれるわけでもなければ「部屋が狭すぎて窒息しそうに息苦しい」というほどの変化を感じることはないと思います。

住むところを地方に変えてしまえば、むしろ5万円のアパートの方が広々としているということは充分にあり得ます(そのかわりお給料が減るかもしれませんが……)

あるいは、溜めこんでしまっている不要な持ち物を減らせば、狭い部屋でもなんの問題もなく生活することもできます。

 

更に極端なことを言うなら、田舎に土地を格安で購入して、自分で小さな小屋を建ててそこで暮らすことができれば家賃もローンもいらないわけで……。

毎月数万円の家賃を払わずにすむ生活というのは、毎月数万円の不労所得を得ているのと同じようなものです。

もちろん維持費や固定資産税など、家にかかるコストをゼロにするというわけにはいきません。
それでも、家賃やローンを払わなくても住める家をもつということは、生きていくうえで必要不可欠なものを自給自足する、つまり「セルフベーシックインカム」に値する、と考えることができます。

 

 

 

贅沢が必要ないなら、手放してしまった方が気楽に生きられる

 

お金で解決できることは色々あるけれど、お金を使わなくても解決できることもたくさんあります。

パートなど時給制の仕事をしているとどうしても手持ちの時間がお金に換算されがちですが、生活するのに必要なお金をどんどんそぎ落としていくことで、結果的にお金を稼がなくても「時間を買う」ことができるようになります。

そうして買った時間で更に生活費を縮小する方法を考えたり、お金をかける代わりに手間をかけたり、あるいは趣味の時間にあてるというのが、私にとっての「良いサイクル」と言えそうです。

 

お金をかけない代わりに、自分でやらなければいけないことは増えてしまうかもしれません。
というか確実に増えます。お金をかけずに自分でやろうとすると、たいてい手間も所要時間も倍増します。

でも、もしその過程も楽しむことができたら、お金に頼らなければいけないモノ・コトの割合を減らして自活することができ、日常生活を充実させることもできます。

贅沢をするよりも楽しく、ラクに生きられるなら、贅沢をする必要性はなくなります。

 

 

「贅沢が悪い」わけではない

 

……と、書いてきましたが、なにも「高級レストランでの外食は無駄!着ない服にお金を払うのも高い家賃払って都会に住むのも全部無駄!」と言いたいわけではありません。

贅沢することが生活の楽しみ・モチベーションになっているのなら、それはなにも悪いことではなくむしろ素晴らしいことだと思います。

記念日などのタイミングでたまに贅沢するのも、気分が変わって楽しいですしね。

 

でも、お金を稼ぐことが悪いことではないように、「お金を稼がずに、自分なりの工夫でやりくりすること」も決して悪いことではないとも思います。

重要なのは「今の自分に最適化された、【お金をかける割合/かけない割合】のバランスを探すこと」で、それは自分の今後の働き方を考えるうえでも大事なポイントになるのではないかなーと考えている……という程度に受け取っていただければ幸いです。笑

 

 

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